新潟県第四区 衆議院議員 菊田まきこ公式サイト

南スーダン共和国の独立式典に出席

20117月7日(木)

 予定より2時間早くカタールのドーハに到着しました。午前3時。在カタール日本大使館の門司(もんじ)大使のご案内で暗い夜道を走り大使公邸へ。少し仮眠をとらせて頂いたあと町を散策しました。

 カタールはペルシャ湾の南岸にある人口170万人の国です。うちカタール人は8分の1程。あとは外国からの移民や出稼ぎ労働者などです。門司大使によれば、2004年には人口80万人だったそうですが、資源開発が成功し豊かになると同時に人口がどんどん増え、国際社会からも大きく注目される存在感を示すようになりました。

 日本の秋田県より少し小さい国土ですが、ハマド首長はダイナミックな国づくりに力を発揮し、石油・天然ガスの開発、行政の合理化、欧米の有名大学誘致、医療と保健、教育費の無料化、国際会議やスポーツ大会の誘致を実現しました。現在、「ザ・パール」という人口島の都市が建設中で高級住宅街、五つ星ホテル、外資系企業、レストラン、高級ショップなどが立ち並んでいました。世界中からセレブが集まってくるそうです。資源があるだけでここまで豊かに、お金持ちの国になれるとは羨ましくなりますね。

 国際社会への貢献も大きく、レバノン諸派間の対話仲介やダルフール問題の仲介努力など国際問題の平和的解決に向けて積極的な外交を展開し、アラブのニューリーダーとして注目されています。アル・ジャジーラ衛星放送は、ハマド首長による資金提供で創設され、アラブ世界の世論形成に大きな影響力を及ぼしています。

 天然ガスの開発時に日本の中部電力が先行投資したことを今でも恩義に感じている親日国で、今回の東日本大震災に際し1億ドルもの義援金を寄付してくれました。さらに天然ガスの優先供給も約束してくれるなど非常に友好的です。だからこそ我が国からカタール政府、国民に対するアプローチには少し物足りなさを感じているのではないかと思います。総理大臣の訪問は2007年の安倍総理以来途絶えたままです。

 カタールのことをもっと良く知りたかったのですが、お別れの時間が来ました。14時過ぎ公邸から空港に向かい、16時発のカタール航空機でスーダンの首都ハルツームへと旅立ちました。門司大使、ご夫人、大使館のみなさん、大変お世話になりありがとうございました。

 3時間半のフライトのあと19時半過ぎ、無事にハルツームに到着しました。夜だというのにムッとする暑さ。黄土色の大地。独特な匂い。遠くアフリカまで来たことを実感します。和田大使の出迎えを受け大使公邸へ。打ち合わせと夕食を済ませてホテルに戻ったのは23時頃でした。

ドーハ時間午前3時過ぎ、予定より2時間早く到着し、
次の乗り継ぎまでの間、日本大使館で休息させていただきました。

ドーハ時間午前3時過ぎ、予定より2時間早く到着し、次の乗り継ぎまでの間、日本大使館で休息させていただきました。

在カタール日本大使館で働く館員にご挨拶。
在カタール日本大使館で働く館員にご挨拶。

天然ガス、石油で一躍、経済大国となったカタール。日本では見たことがないユニークな
形のビルが建ち並んでいる一方で、イスラムの古 い街並みも残っていました。
天然ガス、石油で一躍、経済大国となったカタール。日本では見たことがないユニークな形のビルが建ち並んでいる一方で、イスラムの古 い街並みも残っていました。
天然ガス、石油で一躍、経済大国となったカタール。日本では見たことがないユニークな形のビルが建ち並んでいる一方で、イスラムの古 い街並みも残っていました。
天然ガス、石油で一躍、経済大国となったカタール。日本では見たことがないユニークな形のビルが建ち並んでいる一方で、イスラムの古 い街並みも残っていました。

私の隣は門司大使夫人。
私の隣は門司大使夫人。

2011年7月8日(金)

 朝6時前にホテルをチェックアウトし空港へ。ハルツームまでは一般旅客機ではなく各国の代表者らと相乗りでUNMIS(国連スーダン派遣団)の専用機で向かいました。

 2時間後、南スーダンの首都ジュバに到着。北スーダンに比べると一目で開発の遅れが判ります。道路は未舗装、建物も簡素。所々、中国語の食堂やショップが目につきます。沿道には新国家の国旗がはためき、多数の兵士や警察官が配置されていました。こんなにも大勢の兵士や警察官を公務員として雇っていかなければならないこともこの国の財政を苦しめているはずです。

 それにしても道行く人々の背が高いこと!スーダン南部のディンカ族は世界で最も背が高い民族と言われ身長2m以上が普通にいます。同行した我が外務省の横山アフリカ一課長補佐もかなり背が高く「彼は日本のディンカだ」と言ったら現地人にウケました。

 午後3時からデン・アロル地域協力大臣と会談する予定で待ち合わせ場所に行ったのですが、数時間待っても現れず。和田大使や大使館員が必死に相手側とコンタクトをとるのですが、携帯が切られていたり、交渉相手によって話しがバラバラでパニックに陥りました。どうやら明日の独立式典の準備や各国からの来賓3500人の接遇で手一杯で、ロジがめちゃくちゃになっているようです。何としてもデン・アロル大臣をつかまえて(失礼!)我が国政府として国家承認した外交書簡をお渡し、同時に外交関係開設の手続きをとらなければなりません。あきらめきれず大臣のお出ましを信じひたすらアポをとり続けました。

 19時、南スーダンで活躍する国際機関・NGO・JICA職員のみなさんと食事会兼意見交換会へ。こういう国で仕事をする苦労がどれほどのものか、滞在1日ですっかり身に染みていましたので、邦人職員の皆さんには頭が下がりました。そうこうしていると、急遽、大統領主催の夕食会に来てほしいと連絡が入り慌てて大統領迎賓館へ。

 ここでようやくデン・アロル大臣と会うことができ会談が実現しました。待つこと6時間! 2mの身長をかがんで待たせたことを詫びる大臣はなんとも言えず可愛らしかったです。22時、トレードマークのカーボーイハットをかぶった大統領がようやく現れ、夕食会が始まりました。ホテルに戻ったのが23時半過ぎ。

 ホテル前の沿道には大人も子供も大勢の人々が集まり、新スーダン誕生を喜び合う歌や踊りや歓声で盛り上がっていました。長い紛争を終え、多くの犠牲を払ってようやく手にした平和と独立。希望の歓声は明け方まで延々と続きました。


朝食。早朝5:50ホテル出発のため簡単なランチボックス。
朝食。早朝5:50ホテル出発のため簡単なランチボックス。

アイパッドで日本のニュースをチェック。
アイパッドで日本のニュースをチェック。

私たちが宿泊したホテル。ジュバにはホテルが整っておらず、
部屋にはシャンプーや歯ブラシもなく石けん1個のみ。

私たちが宿泊したホテル。ジュバにはホテルが整っておらず、部屋にはシャンプーや歯ブラシもなく石けん1個のみ。

スーダンで活躍している国際機関・NGO・JICA職員の皆さんと面談。
スーダンで活躍している国際機関・NGO・JICA職員の皆さんと面談。

デン・アロル地域協力大臣と会談。
デン・アロル地域協力大臣と会談。

バンギブン国連事務総長
バンギブン国連事務総長

サルヴァ・キール大統領は、常にカウボーイハットをかぶっています。
米国のブッシュ前大統領からプレゼントされ、お気に入りなのだそうです。
サルヴァ・キール大統領は、常にカウボーイハットをかぶっています。米国のブッシュ前大統領からプレゼントされ、お気に入りなのだそうです。

201179()

いよいよ独立式典当日を迎えました。式典は午前11時開始ですが、混乱が予想されるため9時半にはホテルを出て会場に向かいました。

正装して会場へと向かう人の波をかきわけながらやっとの思いで来賓席エリアに辿り着いたのですが、なんと私たち日本代表の席が確保されていません。私たちの席だけでなく、他の国の席も割り振りされていないため大混乱。とうとう各国の来賓間で席を取り合う小競り合いが始まってしまいました。まぁ新しく出来たばかりの国ですからご愛嬌かな。

それにしても何十万人がこの会場に集まっているのでしょうか。20万人?30万人?想像できません。米国からはコリー・パウエルやスーザン・ライス国連大使、英国のヘイグ外相の姿も見えます。エチオピア、ケニア、南アフリカなど近隣国の大統領もお祝いに駆け付けています。

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時過ぎ、()スーダンのバシール大統領が登場。20年以上、北部と南部で激しい内戦が繰り広げられ、敵対してきた北のリーダーに対しても観衆から大きな拍手が沸きました。続いてサルヴァ・キール初代南スーダン大統領が登場。「大統領として真に忠誠を尽くす。法に従い、市民を守り結束を進める」と国家建設への決意を表明すると歓声はピークに達しました。アフリカ大陸54番目の主権国家「南スーダン」が誕生した瞬間です。

数万人が参加した軍事パレードには負傷兵の姿も見えました。国家主権を勝ち取るまでいかに多くの犠牲が払われたか改めて思い至ります。日本政府としても「平和の定着」の重点国としてスーダンを物心両面で支援してきていて、2005年以降、55100万ドルを投入してきました。南北境界線や双方が領有権を争う油田の権益など複雑な問題がまだ山積していますので、引き続き国際社会と連携しつつ北と南双方のスーダンをバランスよく支援していきたいと考えます。

炎天下・気温40度前後の式典では兵隊や市民がバタバタ倒れタンカで運ばれたり、過酷を極めました。私もノドが乾きましたが、水分を摂るとトイレに行きたくなってしまうし、人ごみを掻き分けてトイレまで辿り着く自信もないし、ひたすら忍耐でした。式典会場を出て、夕方宿舎に戻った時は放心状態。大使館の皆さんも真っ赤に日焼けしてお気の毒でした。

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45分、WFPの飛行機でジュバとお別れ。南スーダンの発展と平和を祈りつつ再びハルツームへと旅立ちました。

独立式典会場に向かう人々。
独立式典会場に向かう人々。

汗だくになりようやく座席をゲット。隣は在スーダン日本大使の和田さんです。
汗だくになりようやく座席をゲット。隣は在スーダン日本大使の和田さんです。

数十万人集まった会場。国民は新しい国の誕生に興奮し歓喜の声を上げていました。
数十万人集まった会場。国民は新しい国の誕生に興奮し歓喜の声を上げていました。
数十万人集まった会場。国民は新しい国の誕生に興奮し歓喜の声を上げていました。

延々と続く軍事パレード。暑さで倒れてしまう兵士もいました。
延々と続く軍事パレード。暑さで倒れてしまう兵士もいました。

命がけの警護
!私の車を先導し、全ての行動を安全に警護して下さった百海(ももみ)さん。
警視庁からスーダン大使館に赴任されています。
命がけの警護!私の車を先導し、全ての行動を安全に警護して下さった百海(ももみ)さん。警視庁からスーダン大使館に赴任されています。

再びハルツームへ。
WFPのチャーター機で戻りました。
再びハルツームへ。WFPのチャーター機で戻りました。

2011年7月10日(日)

 久しぶりに朝ゆっくり起きて9時半からホテルのロビーで和田大使らと打ち合わせ。

 11時、スーダン政府の国際協力省を訪ねアルディゲィル国際協力大臣と会談しました。

 この度のスーダン南北分離・独立によって、(北)スーダンは人口約800万人、面積としては北海道くらいの分を失うことになります。加えて、国内油田の7割を南側に渡すことになり石油収入の大幅減少という経済的ダメージを負います。両国の間には紛争の火種となる可能性が山積しており、和平への努力を促すとともに、日本政府としては南北双方へバランスのとれた支援を行う用意があるとお伝えしました。

 午後はケルティ外務大臣を表敬訪問。北スーダンでは閣僚級と会談する機会を得ることは難しいのですが、大臣とは予定を超えて1時間大変有意義な意見交換ができました。

 新しく誕生した南スーダンにとって、北スーダンはいわば兄のような存在。共に発展を目指し、地域の安定勢力として建設的な役割りを果たしてほしいと思います。

 夕方、ホテルに戻りシャワーを浴びて空港へ向かいました。気力・体力限界ギリギリの強行軍だったこともあり、私の興奮はなかなかおさまらずいろいろな思いが頭をめぐります。

 「サウス・スーダン・Oh!Yeah!」飛び跳ねながら全身で喜びを表現していた南スーダンの人々の姿が目に焼きついて離れません。何世紀にもわたって虐げられ、内戦や紛争で傷つき、独立を迎えてもなお貧しい暮らしが一変するわけでもないこの大地で、それでも必死に生きようとしている人々に、一日も早く平和と幸せが訪れることを願わずにはいられませんでした。

ハルツームの街並み。この日は気温46度でした。
ハルツームの街並み。この日は気温46度でした。
ハルツームの街並み。この日は気温46度でした。

青ナイル川
青ナイル川

ディゲイル国際協力大臣と1時間会談しました。
ディゲイル国際協力大臣と1時間会談しました。

ケルティ外務大臣と会談。南北和平やダルフール問題についても意見交換しました。
ケルティ外務大臣と会談。南北和平やダルフール問題についても意見交換しました。

ハルツームではトヨタの車がたくさん走っていて、販売店もあります。
ハルツームではトヨタの車がたくさん走っていて、販売店もあります。

さよならスーダン。ハルツーム空港での最後のショット。大使館の皆さん、大変お世話になりました。
さよならスーダン。ハルツーム空港での最後のショット。大使館の皆さん、大変お世話になりました。