第114回IPU国際会議に参加して.3「ナイロビ」「奪われる命」「スラムを訪ねて」
2006/05/17 03:37
ナイロビ
会議が開催されたケニアの首都ナイロビは、東アフリカの中心都市として発展しアフリカ諸国と欧米、アジアを結ぶ玄関口です。標高1700メートルにありちょうど日本の軽井沢のような気温。この時期は秋に向かう雨期にあたり朝晩は肌寒いくらいでした。背が高く痩せた人が多く、富の象徴である太った人はほとんど見かけません。(アフリカでは太った女性がモテるそうです!)
近年、治安が悪くなり外国人だけでなく現地の人も夜は自由に町を歩けない状況になっていました。小型銃が日本円で3千円くらいで手軽に入手でき、しかも警察の地位やモチベーションが低いため市民は自分で身を守るしかありません。私たちも勝手にホテルを出てはいけないと注意され大使館の職員やSPの案内のもと行動しました。
日本人で名前が多く知られているのは国連の緒方貞子さん、サッカーの中田選手だそうです。ジャイカなど献身的な人道支援の成果もあり、日本人に対しては総じて好意的で「ジャパニーズ?オッケー!」と親しく声をかけてくれました。「中国人やインド人の態度は横柄で、命令口調で指示するから嫌いだ」と言う人もいました。日本のNGOやボランテイア、JICAの職員が彼らのプライドを傷つけないように一緒に汗を流し、地道な活動を続けてきたことが現地の人々に溶け込んでいることを知り大変嬉しくなりました。
奪われる命
ケニアでは平均寿命が48歳と言われています。なぜこんなに短命なのでしょうか?「癌?」と聞いた私に、「癌は先進国の病です」との答え。まぬけな質問をしたことが恥ずかしくなりました。
水も電気も普及率が低く非常に不衛生な環境の中では伝染病が流行しやすく、また栄養失調などで風邪をこじらせただけなのに死に至ってしまうケースが多いのです。病院に行ける人はごくわずか、多くはお金がないため我慢を重ね重体になってから病院に運ばれるのです。また、平均寿命が低いのにはもう一つ大きな理由がありました。HIV(エイズ)です。スラムなど貧しい地域では平均寿命が30代というところもあると聞き愕然としました。
HIVに対する知識がなく、予防の手だてもなく、またわかっていたとしてもそうせざるを得ないのです。感染しても薬が買えないからまた次から次へと感染し、特に母乳による母子感染は深刻な事態でした。レイプ、人身売買で感染してしまう少女も多くあります。男性が、エイズに感染していない若年の少女と結婚したがるため、13歳くらいで学校をやめて結婚してしまう女の子も多いのです。劣悪な環境のもと多くの命が奪われていくことを本当に悲しく思いました。
スラムを訪ねて
ケニアの人々も教育には熱心です。教育さえあれば貧困から抜け出せる。苦しい家計をやりくりしてもなんとか子供たちに教育をと願う親心は万国共通です。私は、在ケニア大使館の案内でスラム街に入ってみました。スラムに外国人が入って行くのは非常に危険で、襲われて身ぐるみ剥がされることも珍しくないと聞き正直とても怖かったです。
ナイロビの人口約270万人のうち私たちが訪ねたスラムに100万人もの人々が住んでると聞き驚きました。スラムの中は政府の手が届かない自治が存在し、学校や診療所、交番のような建物も見えました。昼間なのに若者の姿を多く見かけました。みんな仕事がないのです。大家族の中で誰か一人でも稼げればみんながその収入にすがって生きているのです。
子供たちの姿も多く見かけました。意外だったのは、子供たちが親しげに私に近寄って来て握手を求めたり、カメラを珍しそうに覗いたり、英語で話しかけてきたことでした。あまりの明るさ、無邪気さに私の方が戸惑ってしまいました。どの子も瞳をきらきら輝かせています。日本の支援で建てられた学校がありましたが、とても粗末な小屋のような所で電気もありませんでした。教育費は無料ですが、制服や教材が買えない家庭の子供は途中でリタイアしてしまうことも多いそうです。
また、高学年の女子は家計を助けるため働きに出たり、若年婚などの理由で学校に来なくなるケースもあります。スラムで生まれた人がスラムを抜け出すことは容易ではありません。スラムの暮らししか知らず一生をスラムの中で終える人々のなんと多いことでしょうか。苦しくとも教育を受けて頑張れば人生はこんなに変わる、成功できるというロールモデルが身近にないことも理由の一つかもしれません。人づくり、人材の育成、教育こそが貧困から抜け出す大きな力です。日本の支援を教育の分野にもっと注ぐことを考えていきたいと思いました。