地元の豪雨災害で平野復興担当大臣の被災地視察に同行、国として全力でサポートを
昨夜、ミクロネシアから帰国しました。現地ではNHKニュースで豪雨の被害を知りましたが、携帯電話やメールも使用できず、心配で心配でずっとイライラしていました。今朝の新幹線で地元に戻り、平野復興担当大臣が被災地視察に入られるのに同行しました。
泉田県知事、国定三条市長から被害状況の報告を受けたあと、破堤現場へ。7年前の7.13水害よりはるかに上回る雨量。もし、五十嵐川と信濃川の河川改修が済んでいなかったら、間違いなく被害はさらに甚大だったと思われます。
しかし、所々で道路の陥没、橋の崩落、土砂崩れ、田んぼや畑の冠水など被害があり、復旧には相当多くの時間と予算が必要になると見込まれます。泉田知事からは、査定前着工を認めてほしい、農作物や果樹の被害補償、被災者再建支援法の柔軟な運用など具体的な要請がありました。国として全力でサポートしていきたいと思います。
平野防災担当大臣が三条市に来られ泉田知事と国定市長から被災報告を受けました
五十嵐川決壊地点を視察
陥没した道路
パラオのトリビオン大統領、続いてヤノ外相と会談
朝8時、パラオのトリビオン大統領との朝食会。トリビオン大統領は、法律家であり、また野球選手として活躍したこともある素敵な方でした。「ケイコ」という日本名をもっていたお母様を亡くされたばかりで、深い悲しみのなかにある大統領に心からお悔やみを伝えました。二国間関係の強化、大陸棚、戦没者慰霊事業、気候変動など様々な課題について意見交換できました。
9時から引き続きヤノ外務大臣と会談。昨年、東京で開催した「太平洋・島サミット中間閣僚会議」の際にもバイ会談させて頂いているので、お互いに親しみを感じています。主に国連改革について意見交換させて頂きました。
全ての日程を終え、13時半、ポンペイ発の飛行機に乗りました。マリンブルーに浮かぶ緑豊かな小さな島。空から見るミクロネシアは、とても美しく可愛らしい島でした。あともう少し水位が上がれば沈没してしまうのではないかという危うさを感じます。
ミクロネシアだけでなく大洋州に浮かぶ島嶼国にとって、気候変動の影響は死活的な問題なのだということを改めて実感しました。この美しい島国と純朴で心優しき人々の暮らしが未来永劫続きますように…。
トリビオン大統領と会談。
ヤノ外相は医師でもあります。


ミクロネシアのモリ大統領就任式に日本政府を代表して出席、マーシャル諸島共和国のゼドケア大統領と会談
10時からモリ大統領就任式に日本政府を代表して出席しました。会場となった「ミクロネシア中国友好体育館」は中国が無償で建設したものです。
就任式には、パラオやマーシャルの大統領、中国からは衛生部副部長(副大臣)、米国からは内務省島嶼予算・無償管理部長、グァム州知事らが出席しました。
モリ大統領は、外国からの賓客として日本政府特使である私を、演説の冒頭で紹介して下さいました。日本とミクロネシアの歴史的な絆を感じ大変光栄に思いました。子ども達の合唱も素晴らしくとても感動的な式典となりました。
式典終了後はホテルに戻り簡単な昼食をとり、14時半からマーシャル諸島共和国のゼドケア大統領と会談しました。福島第一原発事故に関し、大変ご心配をおかけしていることをお詫びし、現状と今後の取り組みについて説明しました。捕鯨問題についても、引き続き協力していくことを確認しました。
18時半から大統領就任祝いの夕食会へ。ホテルの一室で開かれ、お庭でスピーチや歌が披露されアットホームな雰囲気でした。在京スウェーデン大使や在ミクロネシア中国大使、パラオのトリビオン大統領とも会話が弾み大変有意義なひと時となりました。
大統領就任式の会場となった体育館へ入場。
国歌斉唱、国旗入場など儀式が続きます。
大統領就任式のお祝いの歌を披露した子どもたち。
午後からはマーシャルのゼドケア大統領と会談。
お祝いの夕食会はオープンガーデンで。モリ大統領の隣に座りました。
各国の代表者が大勢集まり、話が弾みました。
ミクロネシアの日本大使館、ポンペイの市内を視察、マーシャルのシルク外相と会談
朝9時過ぎにホテルを出て日本大使館へ。海辺に立つ日本大使館は初めて見ました。3月11日の地震発生後、ここにも津波が来るのではないかと鈴木大使はじめ館員の皆さんはとても心配したそうです。
9時45分からポンペイ国際空港を視察。日本の援助で滑走路の延長、旅客ターミナルビルの増築が進められており8月の完成を目指しています。毎日必ずと言ってよいほどゲリラ的に雨が降るため工事を進めるのはとても大変だったそうです。
10時半からポンペイ港湾管理事務所訪問、離島漁村連絡船視察、イティマイ運輸・通信・インフラ大臣を表敬訪問。ミクロネシアは607の離島からなる連邦制の国ですので、海運は人々の交流、生活物資等の輸送にとってまさに命綱です。
11時半から「日・ミクロネシア友好協会」の皆さんと昼食会。日本との歴史的なつながりを知っている世代がだんだん減っていくなかで、今後いかにしたら日本との絆を強めていけるのか意見交換しました。
15時からポンペイの市内視察へ。ミクロネシアで亡くなられた日本人の慰霊像、農業試験所、旧日本軍が使用していた戦車、ドイツ領時代の鐘楼を視察。
16時からマーシャルのシルク外務大臣と会談。二国間関係の強化、国連改革、気候変動、IWC等、多岐にわたる課題について意見交換しました。
18時から聖母教会で大統領就任の儀式が行われました。モリ大統領出身のチューク州の合唱隊が歌をうたい、牧師による感謝の祈り、聖書の朗読、神父による説教、賛美歌など厳粛かつ心温まる行事となりました。
ポンペイ国際空港。海を埋め立てて、延長176m、幅員45mの拡張工事が進められています。
炎天下での視察は過酷でした。やしの実で水分補給。
ミクロネシアの日系人と昼食会。「日・ミクロネシア友好協会」の
ロジャー・モリ会長は連邦議会の議員として活躍しています。
暑さをものともせず子どもたちは元気いっぱい外で遊んでいました。
なんと!新潟県魚沼市出身の女性と会いました。ミクロネシアでは生活習慣病で国民の70%が
亡くなっており、食生活の改善や健康管理について現地の人々を指導しているそうです。
67年前の旧日本軍の戦車が街に置いてありました。
可愛い!子豚たち。もちろん食用にされちゃいます。
マーシャル国のシルク外相と会談。
教会での大統領就任礼拝。

ミクロネシアのポンペイでモリ大統領を表敬、再任に祝意を表す
午前10時、グァム空港からミクロネシアのポンペイへ。約3時間半のフライトで到着しました。日本との時差はちょうど2時間です。熱帯性の気候で、雨も多くジメジメして、密林、ジャングルの島という感じです。人々は純朴で、空港では歓迎の花輪を頭に載せてもらいました。
ミクロネシアは人口11万人。ヤップ州、チューク州、コスラエ州、ポンペイ州からなる連邦制の国です。第一次世界大戦勃発後、日本はドイツ領ミクロネシアを管理下にし、第二次大戦終戦まで日本の統治が続きました。沖縄などから多くの日本人が移民し、正確な数字は把握できていませんが今でもかなり多くの日系人がいます。「でんちゅうばしら」「うんどうかい」「もったいない」など数多くの日本語が今でも人々の生活に根付いています。
ホテルでチェックインした後、16時半にモリ大統領を表敬訪問。日本政府特使として、大統領再任に祝意を表しました。唯一の日系大統領であるモリ大統領と協力して、歴史的に深い繋がりがある両国関係をさらに強化していきたい旨お伝えしました。来年5月に沖縄で開催する「太平洋・島サミット」への出席とご協力も合わせてお願いしました。大統領からは、東日本大震災へのお見舞いが述べられ、これまでの日本政府からの経済協力や様々な支援に対し感謝の表明がありました。
17時からはロバート外務大臣と会談。国連安保理改革、気候変動等に関する国際場裡での協力について意見交換を行いました。
19時からはJICAを含む在ミクロネシア邦人との夕食会。非常に厳しい環境のなかで、ミクロネシアの人々の生活向上のため奮闘されておられる話をお伺いしました。
ミクロネシア連邦に到着。早速、歓迎を受けました。
モリ大統領を表敬訪問。
ロバート外務大臣と会談。
街のあちこちでバスケットボールや野球を楽しむ若者を見かけました。
グアムで南太平洋戦没者慰霊公苑、夜は日本人会の皆さんと懇談
朝9時に宿舎を出発。11時過ぎのコンチネンタル航空でグァムに向かいました。
約3時間半で到着。グァムには初めて来ましたが、日本人観光客が全体の8割を占め日系人も多いので、街中で日本語の看板が目につきます。
木村総領事とNPO法人南太平洋戦没者慰霊協会理事の青木さんのご案内のもと、まずは南太平洋戦没者慰霊公苑に向かいました。
ここは1944年8月11日、日本軍司令部が全滅した地で、最後の司令官となった小畑中将らが自決した防空壕があります。竹林のなかにひっそりと静まる防空壕の前に立つと、何とも言えぬ恐怖心と悲しみがこみ上げてきました。目の前に広がる青空とマリンブルーの海を、67年前この地で激烈な戦闘に身を置いていた兵隊さんはどんな思いで見つめていたのでしょうか。
日本、米国、グァムの3つの国旗が掲げられる慰霊塔の前で合掌し、あらためて不戦と平和を誓いました。
夜はグァムで活躍する日本人会のみなさんと懇談させて頂きました。グァムの日系企業は115社、ホテルや旅行代理店、バス運行、結婚式場などの観光・サービス業が多くを占めています。東日本大震災発生後は、カルボ知事をはじめ官民あげて募金活動が行われたそうで、ここグァムでも日本に対する友情と連帯が示されたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
成田空港を出発
美しく広がる青空とマリンブルーの海
現地に残された日の丸
日本兵が自決した防空壕が3つありました
日本政府を代表して献花させて頂きました
日本・米国・グアムの国旗が掲げられる平和の塔
グアムで活躍する邦人の皆さん(於 総領事公邸)

被災地へ向かう田上町の後援会を見送り、中国の社会科学院青年研究者代表団の歓迎レセプションであいさつ
朝7時半、田上町の後援会のみなさんが日帰りで被災地に出かけるのでお見送りに行きました。本当は一緒に行きたかったのですが、国会があるため残念です。8時半過ぎの新幹線で上京。
午後は明日から出張するミクロネシアについてブリーフを受けた他、メコン5か国の政府関係者招へい訪日団が表敬に来られ会談しました。夜は、中国の社会科学院青年研究者代表団の歓迎レセプションでご挨拶。
明日、ミクロネシア連邦に向けて出発する予定です。ミクロネシア大統領の就任式に、日本政府特使として出席し、大統領、外務大臣らと会談を行う予定です。大統領はモリさんという日系の方です。帰国は30日夜になります。
田上町後援会のみなさんをお見送り
「行ってらっしゃ~い!」
外務省でブリーフ。
メコン5か国の政府関係者招へい訪日団が表敬に。
中国の社会科学院青年研究者代表団の歓迎レセプションでご挨拶させていただきました。
霞ヶ関は人事異動の季節。お世話になった皆さんが異動のご挨拶にいらっしゃいます。
JP労組三条支部の第4回定期大会のレセプションに出席、夜は栃尾・秋葉の火祭りへ
午後、JP労組三条支部の第4回定期大会のレセプションに出席、ご挨拶させて頂きました。郵政改革法案が未だ審議入りできていない理由、国会情勢について報告しました。
夜は恒例の栃尾・秋葉の火祭りへ。燃え盛る火を渡る儀式は毎回のことながらやはりビビってしまいます。左足の指と指の間に、火の粉が挟まってしまい熱かった。(涙)
ノルウェーでのテロ、中国の高速鉄道事故、衝撃でした。
JP労組三条支部定期大会
栃尾 秋葉の火祭り
レディースまきこ会の国政報告会、新潟県弁護士会の要望を伺う
朝7時過ぎの新幹線で地元に戻りました。11時から加茂市で「レディースまきこ会」の国政報告会を開催しました。午後は新潟県弁護士会の先生から司法修習生の給費制の維持について要望を頂きました。
レディースまきこ会
パネルをお見せしながら海外報告をしました
新潟県弁護士会の先生からご要望を頂きました

副大臣、政務官で第2次補正予算の執行に関して協議、外務省では海外での風評被害対策に総額15億円
珍しく午前中は時間ができたので、来週からの出張に備えて荷造りをしました。午後はODAの閣議案件についてブリーフ。夕方は副大臣、政務官で第2次補正予算の執行に関して協議。第2次補正予算では外務省として総額15億円、主に各国での風評被害対策にあてますが、限られた予算を無駄なく効率よく成果をあげるにはどうしたらよいかみんなで知恵を絞りたいと思います。
外務省でブリーフ

テレビ番組の収録、ドイツ大使館で大坂靖彦氏をお祝いする会、在京豪州大使の送別レセプションに出席
朝9時15分からTBS「国会トーク フロントライン」の収録でした。ミャンマー・スーダン訪問、震災後の日本外交についてお話させていただきました。
11時からドイツ大使館へ。この度、ドイツ政府から功労勲章十字小授章をお受けになられた大坂靖彦氏をお祝いする会に出席、乾杯のご挨拶をさせて頂きました。大坂氏は香川県出身なので香川県の衆議院議員の先生方もお祝いに駆けつけておられました。
14時から「日中21世紀交流事業」として、中国から日本に11か月間留学した高校生が帰国するにあたりご挨拶しました。異国で震災という困難に遭遇しながらも最後まで頑張った学生さんたちの努力と根性に拍手です。15時からは衆議院沖縄北方問題特別委員会の理事懇談会に陪席。
17時から在京オーストラリア大使のマクレーン氏送別レセプションに出席。6年8か月にわたり在京大使としてご活躍下さいました。18時半からウズベキスタン文化・芸術フォーラム基金設立式の懇親会で乾杯のご挨拶をしました。
TBS「国会トーク フロントライン」の収録。
ドイツ政府から功労勲章十字小授章をお受けになられた大坂靖彦氏をお祝いする会。
中国から日本に11か月間留学した高校生の訪問を受けました。
在京オーストラリア大使のマクレーン氏送別レセプション。
ウズベキスタン文化・芸術フォーラム基金設立式の懇親会で乾杯のご挨拶。

パキスタンのプーリ貿易開発庁長官と会談、本会議で第2次補正予算案を可決、在京パキスタン大使と懇親会
午前中、パキスタンのプーリ貿易開発庁長官が来られ約一時間会談しました。今回の訪日は、ジャパンファッションウィーク東京に出席するためで、パキスタンの市場拡大、貿易促進、投資誘致について意見交換しました。
午後4時からの衆院本会議では、東日本大震災の被災者支援策を盛り込んだ第2次補正予算案が、自民党、公明党、みんなの党など野党の賛成も得て可決しました。総額約2兆円。財源はすべて10年度の決算余剰金でまかないます。
17時半から外務省でブリーフ。19時からは在京パキスタン大使より懇親会に招かれ、同僚議員と一緒に出席しました。偶然ですが、今日はパキスタンデーとなりました。
パキスタンのプーリ貿易開発庁長官と会談。
外務省でブリーフ。
同僚議員とともに在京パキスタン大使との懇親会に。

國定三条市長と協議、再任の次期IMO事務局長がごあいさつ、取材対応など
大型で強い台風が接近。被害が出なければよいがと心配です。
午前中は、三条市の國定市長が上京され、地元の様々な案件、課題への対応について協議しました。
午後は外務省へ。14時半から次期IMO(国際海事機関)事務局長に再選された関水氏がご挨拶に来られました。IMO(国際海事機関)は、海上の安全、能率的な船舶の運航のため活動している機関です。
15時半から南スーダン独立に関して取材を受けました。16時からは新しく外務省担当になった記者さんや海外支局に赴任されることになった記者さんが挨拶に来られました。19時45分から政務三役会議。終日、衆議院予算委員会が開催されたため、この時間帯しか大臣の時間がとれませんでした。
セシウム汚染牛の問題は深刻で、国内だけでなく海外にも風評被害が出てしまうことが心配されます。早期に正解なデーターを示し、風評被害、輸出規制対策に当たりたいと思います。政務三役会議終了後、20時20分から記者ブリーフ。
次期IMO(国際海事機関)事務局長に再選された関水氏がご挨拶に。
南スーダン独立に関して、NHKから取材を受けました。
新しく外務省担当になった記者や海外支局に赴任されることになった記者が挨拶に。

政務三役会議終了後、記者ブリーフ。

椿山荘で新潟県人会の第45回納涼大会、700人近い参加者で盛り上がる
新潟県人会の第45回納涼大会が椿山荘で開催され出席しました。毎回のことですが、700人近い参加者で盛り上がり大盛況でした。話題の中心は、やはり「なでしこジャパン」の優勝。本当に素晴らしい頑張り、最後まで諦めない粘り強さに、みんな感動してました。
新潟県人会の第45回納涼大会へ出席し、県出身者の皆様と意見交換しました。
外務省当番のため朝の新幹線で上京、夜まで資料整理など
朝の新幹線で上京しました。外務省当番なので出勤し、夜まで資料の整理など。
朝の新幹線で地元に戻って秘書と打ち合わせ会議
朝の新幹線で地元に戻りました。秘書と打ち合わせ会議。夕方、早々自宅に戻り休みました。
経産委で対北朝鮮外交について答弁、衆議院外務委員会理事懇に陪席、野田財務大臣の財政演説と各党代表質疑
朝8時半から答弁打ち合わせ。9時15分からブリーフと政務三役会議。10時半記者ブリーフ。10時50分から経済産業委員会で対北朝鮮外交について答弁に立ちました。
11時半、衆議院外務委員会理事懇に陪席。来週には2次補正予算審議が始まりますが、国会のお許しを頂いて松本大臣がインドネシアで開催されるASEAN外相会議に出席する了解を頂きました。
12時45分代議士会。13時から本会議。2時間コースで野田財務大臣の財政演説と各党代表質疑が行われました。与党議員席から菅総理へのエールや拍手はまばらで、残念ながら人心が離れてしまっていることを感じました。本会議の後は来客対応と取材。
国会答弁の打ち合わせ。
政務三役会議後の記者ブリーフ。
衆院経済産業委で答弁。
取材。

本会議後、来年で日本との国交樹立40周年を迎えるバングラデシュの在チッタゴン名誉総領事イスラムさんと会談
お昼に、有志の国会議員が集まり食事をしながら意見交換しました。菅総理の記者会見、唐突に発表された脱原発宣言について違和感をもつ議員が少なくありません。
12時45分から代議士会に出席。13時から約2時間半の本会議が開催され、再生可能エネルギー法案、電気ガス事業法案の趣旨説明と質疑が行われました。
16時からバングラデシュの在チッタゴン名誉総領事イスラムさんが外務省に来られ会談しました。来年は日本とバングラデシュの国交樹立40周年を迎えます。様々な形で活発な交流が行われるようご協力をお願いしました。
バングラデシュの在チッタゴン名誉総領事イスラムさんが外務省来訪です。
外務省でブリーフです。

東アジア青少年大交流計画ミャンマー青年指導者訪日団の松本大臣表敬に陪席、ミャンマーのホテル観光大臣兼スポーツ大臣の表敬も
朝8時、民主党外務部門会議に出席しました。11時半過ぎ、東アジア青少年大交流計画ミャンマー青年指導者訪日団の松本大臣表敬に陪席しました。ミャンマーの20代、30代の超党派の政治家が、日本を訪問し国会議員や政党関係者と意見交換したり、長野県を訪問して農業者と交流するプログラムです。
ミャンマーの民主化や国民和解は一朝一夕に実現するものではありません。色々な機会を通じて、彼ら自身が真の民主国家とはいかなるものか気づき自助努力するよう促していきたいと思います。14時、ミャンマーのティン.サン.ホテル観光大臣兼スポーツ大臣の表敬を受け意見交換しました。
15時来客。15時半、ブリーフ。偶然ですが、今日はミャンマーからのお客さんへの対応が続き「ミャンマーデー」になりました。17時、外務省幹部と政務三役による定例省議。
民主党外務部門会議。南北スーダン出張について報告しました。
東アジア青少年大交流計画ミャンマー青年指導者訪日団の松本大臣表敬に陪席。
ミャンマーのティン.サン.ホテル観光大臣兼スポーツ大臣の表敬。
外務省でブリーフ。

三役会議でスーダン出張報告、被災地のフィリピンからのお嫁さんを心をケアする精神科医を迎える
時差のせいで、体は疲れているのに朝早く目が醒めてしまいました。
スーツケースを片付け、洗濯機を2回まわし、歩いて議員会館に出ました。出張の後はいつも地獄。山のような用事を処理しなければなりません。
お昼に政務三役会議があり、スーダン出張報告をしました。大臣からは「よく無事に帰ってきたね!ご苦労さん」と何度もねぎらって頂き恐縮でした。記者ブリーフの後、夕方は、フィリピンから来られた精神科医をお迎えしました。宮城県、岩手県などの被災地には、フィリピンから嫁がれたお嫁さんがたくさん生活されていますが、言葉の問題もあり長期にわたる避難所生活で精神的ダメージを受けているフィリピン人がたくさんいます。今回、外務省として初めて「心のケア」を活動目的とする医療支援チームを受け入れ、日本人医師とチームを組んで巡回し約200名の「心のケア」を実施しました。
母国から来た医師が、母国語で親身に相談に乗られたことでかなり多くのお嫁さんが元気を回復したそうです。フィリピン政府のご支援に心から感謝申し上げます。
政務三役後の記者ブリーフ。
外務省でブリーフ。
フィリピンからの精神科医チームの来訪を受けました。震災での「心のケア」に御礼を伝えました。

スーダンのアルディゲィル国際協力大臣と会談、気力・体力限界ギリギリの強行軍に興奮が収まらず
久しぶりに朝ゆっくり起きて9時半からホテルのロビーで和田大使らと打ち合わせ。
11時、スーダン政府の国際協力省を訪ねアルディゲィル国際協力大臣と会談しました。
この度のスーダン南北分離・独立によって、(北)スーダンは人口約800万人、面積としては北海道くらいの分を失うことになります。加えて、国内油田の7割を南側に渡すことになり石油収入の大幅減少という経済的ダメージを負います。両国の間には紛争の火種となる可能性が山積しており、和平への努力を促すとともに、日本政府としては南北双方へバランスのとれた支援を行う用意があるとお伝えしました。
午後はケルティ外務大臣を表敬訪問。北スーダンでは閣僚級と会談する機会を得ることは難しいのですが、大臣とは予定を超えて1時間大変有意義な意見交換ができました。
新しく誕生した南スーダンにとって、北スーダンはいわば兄のような存在。共に発展を目指し、地域の安定勢力として建設的な役割りを果たしてほしいと思います。
夕方、ホテルに戻りシャワーを浴びて空港へ向かいました。気力・体力限界ギリギリの強行軍だったこともあり、私の興奮はなかなかおさまらずいろいろな思いが頭をめぐります。
「サウス・スーダン・Oh!Yeah!」飛び跳ねながら全身で喜びを表現していた南スーダンの人々の姿が目に焼きついて離れません。何世紀にもわたって虐げられ、内戦や紛争で傷つき、独立を迎えてもなお貧しい暮らしが一変するわけでもないこの大地で、それでも必死に生きようとしている人々に、一日も早く平和と幸せが訪れることを願わずにはいられませんでした。
ハルツームの街並み。この日は気温46度でした。

青ナイル川
ディゲイル国際協力大臣と1時間会談しました。
ケルティ外務大臣と会談。南北和平やダルフール問題についても意見交換しました。
ハルツームではトヨタの車がたくさん走っていて、販売店もあります。

さよならスーダン。ハルツーム空港での最後のショット。大使館の皆さん、大変お世話になりました。

南スーダン独立式典、40度前後の炎天下で何十万人もの国民が集まる
いよいよ独立式典当日を迎えました。式典は午前11時開始ですが、混乱が予想されるため9時半にはホテルを出て会場に向かいました。
正装して会場へと向かう人の波をかきわけながらやっとの思いで来賓席エリアに辿り着いたのですが、なんと私たち日本代表の席が確保されていません。私たちの席だけでなく、他の国の席も割り振りされていないため大混乱。とうとう各国の来賓間で席を取り合う小競り合いが始まってしまいました。まぁ新しく出来たばかりの国ですからご愛嬌かな。
それにしても何十万人がこの会場に集まっているのでしょうか。20万人?30万人?想像できません。米国からはコリー・パウエルやスーザン・ライス国連大使、英国のヘイグ外相の姿も見えます。エチオピア、ケニア、南アフリカなど近隣国の大統領もお祝いに駆け付けています。
12時過ぎ、(北)スーダンのバシール大統領が登場。20年以上、北部と南部で激しい内戦が繰り広げられ、敵対してきた北のリーダーに対しても観衆から大きな拍手が沸きました。続いてサルヴァ・キール初代南スーダン大統領が登場。「大統領として真に忠誠を尽くす。法に従い、市民を守り結束を進める」と国家建設への決意を表明すると歓声はピークに達しました。アフリカ大陸54番目の主権国家「南スーダン」が誕生した瞬間です。
数万人が参加した軍事パレードには負傷兵の姿も見えました。国家主権を勝ち取るまでいかに多くの犠牲が払われたか改めて思い至ります。日本政府としても「平和の定着」の重点国としてスーダンを物心両面で支援してきていて、2005年以降、5億5100万ドルを投入してきました。南北境界線や双方が領有権を争う油田の権益など複雑な問題がまだ山積していますので、引き続き国際社会と連携しつつ北と南双方のスーダンをバランスよく支援していきたいと考えます。
炎天下・気温40度前後の式典では兵隊や市民がバタバタ倒れタンカで運ばれたり、過酷を極めました。私もノドが乾きましたが、水分を摂るとトイレに行きたくなってしまうし、人ごみを掻き分けてトイレまで辿り着く自信もないし、ひたすら忍耐でした。式典会場を出て、夕方宿舎に戻った時は放心状態。大使館の皆さんも真っ赤に日焼けしてお気の毒でした。
18時45分、WFPの飛行機でジュバとお別れ。南スーダンの発展と平和を祈りつつ再びハルツームへと旅立ちました。
独立式典会場に向かう人々。
汗だくになりようやく座席をゲット。隣は在スーダン日本大使の和田さんです。
数十万人集まった会場。国民は新しい国の誕生に興奮し歓喜の声を上げていました。
延々と続く軍事パレード。暑さで倒れてしまう兵士もいました。
命がけの警護!私の車を先導し、全ての行動を安全に警護して下さった百海(ももみ)さん。
警視庁からスーダン大使館に赴任されています。
再びハルツームへ。WFPのチャーター機で戻りました。

南スーダンで国際機関・NGO・JICA職員と食事会兼意見交換会、大統領主催の夕食会に出席、デン・アロル地域協力大臣と会談
朝6時前にホテルをチェックアウトし空港へ。ハルツームまでは一般旅客機ではなく各国の代表者らと相乗りでUNMIS(国連スーダン派遣団)の専用機で向かいました。
2時間後、南スーダンの首都ジュバに到着。北スーダンに比べると一目で開発の遅れが判ります。道路は未舗装、建物も簡素。所々、中国語の食堂やショップが目につきます。沿道には新国家の国旗がはためき、多数の兵士や警察官が配置されていました。こんなにも大勢の兵士や警察官を公務員として雇っていかなければならないこともこの国の財政を苦しめているはずです。
それにしても道行く人々の背が高いこと!スーダン南部のディンカ族は世界で最も背が高い民族と言われ身長2m以上が普通にいます。同行した我が外務省の横山アフリカ一課長補佐もかなり背が高く「彼は日本のディンカだ」と言ったら現地人にウケました。
午後3時からデン・アロル地域協力大臣と会談する予定で待ち合わせ場所に行ったのですが、数時間待っても現れず。和田大使や大使館員が必死に相手側とコンタクトをとるのですが、携帯が切られていたり、交渉相手によって話しがバラバラでパニックに陥りました。どうやら明日の独立式典の準備や各国からの来賓3500人の接遇で手一杯で、ロジがめちゃくちゃになっているようです。何としてもデン・アロル大臣をつかまえて(失礼!)我が国政府として国家承認した外交書簡をお渡し、同時に外交関係開設の手続きをとらなければなりません。あきらめきれず大臣のお出ましを信じひたすらアポをとり続けました。
19時、南スーダンで活躍する国際機関・NGO・JICA職員のみなさんと食事会兼意見交換会へ。こういう国で仕事をする苦労がどれほどのものか、滞在1日ですっかり身に染みていましたので、邦人職員の皆さんには頭が下がりました。そうこうしていると、急遽、大統領主催の夕食会に来てほしいと連絡が入り慌てて大統領迎賓館へ。
ここでようやくデン・アロル大臣と会うことができ会談が実現しました。待つこと6時間! 2mの身長をかがんで待たせたことを詫びる大臣はなんとも言えず可愛らしかったです。22時、トレードマークのカーボーイハットをかぶった大統領がようやく現れ、夕食会が始まりました。ホテルに戻ったのが23時半過ぎ。
ホテル前の沿道には大人も子供も大勢の人々が集まり、新スーダン誕生を喜び合う歌や踊りや歓声で盛り上がっていました。長い紛争を終え、多くの犠牲を払ってようやく手にした平和と独立。希望の歓声は明け方まで延々と続きました。
朝食。早朝5:50ホテル出発のため簡単なランチボックス。
アイパッドで日本のニュースをチェック。
私たちが宿泊したホテル。ジュバにはホテルが整っておらず、
部屋にはシャンプーや歯ブラシもなく石けん1個のみ。
スーダンで活躍している国際機関・NGO・JICA職員の皆さんと面談。
デン・アロル地域協力大臣と会談。
バンギブン国連事務総長
サルヴァ・キール大統領は、常にカウボーイハットをかぶっています。
米国のブッシュ前大統領からプレゼントされ、お気に入りなのだそうです。

カタールのドーハに到着、門司大使の案内で大使公邸へ、そしてスーダンの首都ハルツームへ
予定より2時間早くカタールのドーハに到着しました。午前3時。在カタール日本大使館の門司(もんじ)大使のご案内で暗い夜道を走り大使公邸へ。少し仮眠をとらせて頂いたあと町を散策しました。
カタールはペルシャ湾の南岸にある人口170万人の国です。うちカタール人は8分の1程。あとは外国からの移民や出稼ぎ労働者などです。門司大使によれば、2004年には人口80万人だったそうですが、資源開発が成功し豊かになると同時に人口がどんどん増え、国際社会からも大きく注目される存在感を示すようになりました。
日本の秋田県より少し小さい国土ですが、ハマド首長はダイナミックな国づくりに力を発揮し、石油・天然ガスの開発、行政の合理化、欧米の有名大学誘致、医療と保健、教育費の無料化、国際会議やスポーツ大会の誘致を実現しました。現在、「ザ・パール」という人口島の都市が建設中で高級住宅街、五つ星ホテル、外資系企業、レストラン、高級ショップなどが立ち並んでいました。世界中からセレブが集まってくるそうです。資源があるだけでここまで豊かに、お金持ちの国になれるとは羨ましくなりますね。
国際社会への貢献も大きく、レバノン諸派間の対話仲介やダルフール問題の仲介努力など国際問題の平和的解決に向けて積極的な外交を展開し、アラブのニューリーダーとして注目されています。アル・ジャジーラ衛星放送は、ハマド首長による資金提供で創設され、アラブ世界の世論形成に大きな影響力を及ぼしています。
天然ガスの開発時に日本の中部電力が先行投資したことを今でも恩義に感じている親日国で、今回の東日本大震災に際し1億ドルもの義援金を寄付してくれました。さらに天然ガスの優先供給も約束してくれるなど非常に友好的です。だからこそ我が国からカタール政府、国民に対するアプローチには少し物足りなさを感じているのではないかと思います。総理大臣の訪問は2007年の安倍総理以来途絶えたままです。
カタールのことをもっと良く知りたかったのですが、お別れの時間が来ました。14時過ぎ公邸から空港に向かい、16時発のカタール航空機でスーダンの首都ハルツームへと旅立ちました。門司大使、ご夫人、大使館のみなさん、大変お世話になりありがとうございました。
3時間半のフライトのあと19時半過ぎ、無事にハルツームに到着しました。夜だというのにムッとする暑さ。黄土色の大地。独特な匂い。遠くアフリカまで来たことを実感します。和田大使の出迎えを受け大使公邸へ。打ち合わせと夕食を済ませてホテルに戻ったのは23時頃でした。
ドーハ時間午前3時過ぎ、予定より2時間早く到着し、
次の乗り継ぎまでの間、日本大使館で休息させていただきました。
在カタール日本大使館で働く館員にご挨拶。
天然ガス、石油で一躍、経済大国となったカタール。日本では見たことがないユニークな
形のビルが建ち並んでいる一方で、イスラムの古 い街並みも残っていました。
私の隣は門司大使夫人。

衆院予算委で集中審議、残念な松本復興相の辞任、スーダンに向けて出発
終日、衆議院予算委員会が開催され集中審議が行われました。松本復興担当大臣の辞任は本当に残念です。大変熱心に被災地復興に取り組んでおられたことは多くの国会議員が知っていますが、軽はずみな発言は厳に慎まなければならないと自戒も含めて思います。
今夜20時50分成田発のカタール航空でスーダンに向かいます。明日の朝ドーハに着き、ドーハから(北)スーダンのハルツームに着くのが19時半。計18時間の長旅。スーダンは民族間紛争が続いていましたが、1月に住民投票が行われた結果、南部スーダンの分離独立が決定しました。
日本政府は、3月のクック諸島に続き、南スーダン共和国を世界194番目の国家として承認することを閣議決定し、私は特使として9日の独立式典に出席します。現地は気温40度近く、トイレや衛生環境もよくないとのことですから心して参ります。帰国は11日夜の予定。
出発直前まで議員会館で執務が続きました。
成田空港からスーダンに向かいます。

在京ミャンマー大使と面談、取材や政務三役会議
きょうは歩いて外務省に出ました。蒸し暑く汗が流れます。10時半、明日から出張するスーダンについてブリーフ。
11時から取材。12時、仲良くしている1期生の稲富修二議員、神山洋介議員、湯原俊二議員が外務省を訪ねてくれまして食堂で一緒にランチをしました。14時から取材。15時20分在京ミャンマー大使と面談。17時半から中国訪問を終え帰国された松本大臣に出張報告。17時40分から政務三役会議、終了後の18時半から記者ブリーフ。
外務省でブリーフ。
11時から取材を受けました
稲富修二議員、神山洋介議員、湯原俊二議員が外務省訪問。食堂でランチです。
14時からの取材

官房副長官にミヤンマー出張の報告、スーダンの子どもたちが表敬訪問
10時、首相官邸へ。仙谷官房副長官にミヤンマー出張の報告を行いました。
11時からは新潟日報の取材を受けました。12時内閣府へ。15時半から外務省でブリーフが2件続きました。
16時からスーダンの子どもたちが表敬訪問に来られました。南、北のスーダンから20人の児童が来日し、宮城県名取市を訪れ被災地の被災地の小学生、中学生と一緒に運動会で交流したそうです。みんなで玉入れや徒競走で汗を流したそうで、被災地の子どもたちはとても喜んでくれたとのことです。スーダンは南と北に分かれたばかりで政争、混乱もありますが、子ども同士の交流にわだかまりはありません。
新潟日報の取材
外務省でブリーフ。
南、北スーダンの子どもたちが外務省を訪問。

体調を崩して点滴を打って安静に、無理を反省
夜中に、お腹が痛くなって何度も目が醒めました。海外では生水、生食品に気をけているのですが、今回は当たってしまったみたい。トイレから離れられず仕事になりません。
朝一番に地元の病院で診てもらい点滴を打ち安静にしました。
予定していた連合との協議や県連常任幹事会に出席できず申し訳なかったです。「生身の体なんだから、思うようにはいかないさ」と母に言われ、無理を重ねてきたことを反省してます。
三条商鐵組合設立120周年記念式典に出席、9日に南スーダンの独立記念式典へ出席することに
午前中、ミヤンマー報告をまとめたあと10時半からアフリカ・スーダンの現状についてブリーフ。今月9日に、193番目の国として独立する南スーダンの独立記念式典が行われることになっており、国会のお許しをいただければ、私が日本政府特使として派遣されることになりそうです。
お昼過ぎの新幹線で地元へ。15時半から三条商鐵組合設立120周年記念式典に出席しご挨拶させて頂きました。戊辰戦争の傷跡残る、明治政府の新しい国づくりの時代に、全国にさきがけて組合をつくり、今日まで脈々とモノづくり、金属加工技術と産業を発展させてきたことは本当にすごいことだと思います。田中甚八初代組合長はじめ歴代理事長、現在の第18代野崎正明理事長、組合企業の皆様のご努力・ご尽力に心から敬意を表します。
三条商鐵組合設立120周年記念式典でごあいさつ
記念パーティー

